10月1日、安心・安全まちづくり県民の集いふくおかにパネリスト出演とパトランブース出展をしてきました(今年初参加)来場者の半数は高齢者世代の人たち(会場で集計とってました)で若い層は予想通り少なめです。
今年のテーマは「若い力」ということで、大学生の取り組みが紹介され、それについて質問する&若い力を取り組むためのキーワードを提案するという役回り。コーディネーターは著名人の深町健二郎さんです。大学生は1大学8分ほど活動紹介する時間があり、自分の大学生の頃と比べると大違い。たいしたもんです。あえて言うならこんなことしてますって報告ベースで物足りなさを感じました。もっと個人の想いや取り組む姿勢みたいなリアリティ感を聞きたかった。
全体で1時間半ほどだったんですが、よく出てたキーワードは「楽しむ」ということ。「楽しむ」という言葉は使いやすいので、かつては僕も多用してました。しかし使いやすい反面、内容の伝わりにくさがあるワードだと思ってます。最近でこそ僕も使い方に気をつかっています。
で本題、「楽しむ」ことが重要かというと確かにそうだと思います。ただ何を「楽しむ」ことに主眼を置くのかが大事だと感じてます。防犯そっちのけで、その場で集まってワイワイしながら活動をすることを「楽しむ」と捉えるならば、それは自己満足の世界であって、社会課題の解決には結びつきづらい。防犯を主眼に置いて、地域の人と挨拶したり、感謝されたり、活動をステップアップさせる過程を「楽しむ」ことが本質だと捉えています。
パトランにも「なんか楽しそう」と思い、入会される方がたくさんいますが、長くは続きません。長く続いているメンバーは、パトランを通じて「地域の安全への貢献」や「仲間づくり」「健康づくり」など何かしたら活動に参加する理由を見出しています。
かつては僕も、防犯よりも自分たちが楽しむことが第一優先でした。集合写真は「パトランイエーイ!」で楽しげな雰囲気を出したり、パトラン中はメンバー同士ワイワイ話すことを促進したり。しかしある時、Facebookの投稿を見た知人に「仲間内で楽しげにしている様子を見たいわけじゃない。パトランを通じて地域のどこにどんな危険が潜んでいるか、パトランがどのような効果を地域にもたらしているのかが知りたい」と言われました。雷に打たれたような感覚、ハッと思い知らされました。僕たちが重要視していたことは、パトランがなすべき本質からズレていたことに気がつきました。
以降、パトランの目指すビジョンを「子どもや女性、お年寄りが安心して暮らせる地域の実現」と明確に定めて、安全づくりを第一にした活動へと軌道修正してきました。
ボランティアレベルで行うのであれば自分が楽しむことがメインでも構わないですが、僕たちパトランは、社会の変革のために仕事として取り組む意思を持っているためそれだけでは、周囲の共感も応援も得ることができません。これはボランティアとNPOの境界線でもあると思います。
全体キーワードである「若い力」という点では、大学生の巻き込みに焦点が当てられていました。しかし、大学生より30〜40代の子どもを育てている親世代の巻き込みの方が間違いなく重要です。そう考えると発表者の選定にももう少し工夫がいるはず。あと、深町健二郎さんの発言の場があらかじめもっと用意されてると良かった。せっかく経験やアイデアを持ってる人が来てくれたなら、地域の安全づくりについて深町さんとフリートークで声を聞きたかったのが本心です。いろんな意味で改善すべき箇所が目についたなというのが印象です。なんてこと言ってますが、僕も実行委員会の一員だったので責任の一端はあるわけですね(1回しか行けていませんでした)来年も開催されるのであれば、その辺の提言もできたらと思っています。
立花