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【佐賀県鳥栖市】増田智恵子さん


癌と向き合いながらパトランに取り組む佐賀県鳥栖市のパトランナー増田智恵子さんに活動のきっかけやパトランへの想いをインタビューしました。
聞き手:パトランJAPAN 立花

きっかけは久留米チームのキックオフ

–増田さんがパトランを始められたきっかけは久留米のキックオフの時でしたよね?

増田 パトランを知ったのは、マラソン大会でした。ランニング仲間で、パトランメンバーである藤田さん(福岡)が、下関の海峡マラソンでパトランTシャツを着ていて「なにこれ?」と話したところから始まりました。
その後、久留米と佐賀の発足式があると聞き、軽い気持ちで参加してみました。私は地域貢献をしたことがなかったのでやってみたいとの思いがあり、それで参加しようと思いました。

仕事が忙しくてなかなか地域貢献をする時間がなかったということですか?

時間を作れなくはなかったんでしょうけれども、そういう活動があることを知らなかったということもあります。発足式の話を聞いて、これはご縁があると思ってパトランに入りました。

−増田さんのように発足式に飛び込んできてくれる人はこれまであまりいなかった。だからとてもうれしいです。

もともと新しいことやチャレンジすることが好きでしたので、迷わず参加しました。

パトランに参加いただいて1年半ぐらいですかね。無理ない範囲で活動を継続しているということですね。

無理してないよ。無理しちゃいけないって、規約に書いてあるからね。笑

−最初にがんばりすぎて燃え尽き症候群になってしまうことも多々ありますからね。笑マイペースで無理なく長く続けてもらえることが1番いいんだろうなと思います。

それはすごく大事だと思う。

−ちなみに増田さんが走り始めたきっかけはなんだったんですか?

47歳からマラソンを始めたんですが、実はそれまで運動という運動をしたことがなくて。仕事で看護師長という職について、それでメンタルが強くなりたいと思ったのがマラソンを始めたきっかけでした。

珍しいですね。健康の為や体力の為ではなくて、メンタル面とは。

メンタルが強くないと人を動かせない、職場の仕事も業務も回っていかないと思ったので。走るようになって気持ちのリセットの仕方が上手にできるようになりました。そこからハマっていきました。

−増田さんご自身が、パトランに関わって、大きく変わった事ってあります?意識とか。

危険だな、危ないな、草が伸びていて見えにくいよねとか防犯意識を持てるようになりました。普段思っていなかったことが見えてくるようになったのはパトランのおかげだと思います。パトランに入っていないとそこは変わっていなかった。あとみんなで集まっての合同パトランは、防犯の視点や手法、個人の思いなど、みなさんの意見を聞ける場でもあるので、合同パトランって必要だなと思います。

いろんな人が集まって、意見交換して、より良いものができるという側面がありますね。

なかなかそういう意見は、飲み会や会合などでしか聞けないけれど、走りながらそれができるってすごく面白いと思うんです。

病気と向き合いながらチャレンジ

増田さんの何事にもチャレンジする姿はいろいろな人に力を与えると感じています。増田さんが今、戦われている病気について教えていただけますか?

2019年の2月に乳がんだと診断を受けました。なので、目前に迫っていた3月の『佐賀さくらマラソン』はラストランを覚悟して走ったんです。マラソンの次の日には入院、すぐに手術をしました。手術をしたから終わりというわけではなく、手術の後にすごく過酷な治療が待っている。私の場合は抗がん剤治療が1年半に及びました。

走る事はもともと大好きで、私にとっては気持ちを前向きに立て直すことができるとの思いがあり、抗がん剤治療中も走ることをやめずに続けてきました。

2020年の8月に標準治療が一旦終了して寛解となって、さあやっとこれから本格的に走れるという状況になったのですが、しばらくして骨転移を発症しました。放射線治療をして、その後6ヵ月間は走れないよと宣告をうけました。今でも両手足の末梢神経障害と疼痛と戦っています。
これは私が今後一生向き合っていかないといけない試練となりました。世の中にはもっと辛い状況下にある方が沢山います。ですので、これぐらいのことでへこんでいてはいけないと思い返し、生きる希望を見出し、病と戦っていこうと思っています。

−つらい時期が続きましたね。治療期間中はどのように過ごされていたのですか?

山登りをはじめました。自然に触れることが免疫力アップになるとのことで。身体に良いことはどんどん取り入れていこうという主義なので、もちろん食事療法も変えましたし、あらゆることを変えていく生活にはなりました。4月にはトレイルランにも初挑戦しました。

その状況下でも前向きに新しいことにチャンレンジする増田さんを見ると、僕ももっと頑張らないとと思わずにいられません。そのバイタリティは一体どこから湧いてくるんですか?

子どもたちに何か残せるものはないかなと思った時に、自分ががんばっているところを残せたらなぁと思って。初挑戦では、トレイルラン雑誌の取材も受けたんです。

−いろいろな話を伺った中で、増田さんの頑張られている姿は、パトランにとっても光になっているし、間違いなくそういうところはあると思っていて。
パトランをやっている方の中にも、病気を抱えられている方や、そうでなくてもいろいろな問題を抱えられている方がいる。そのような人たちが、増田さんの頑張る姿や話を聞いて、もっと前向きに取り組んでみようと思えるような、明るい材料に十分なりえると思います。

いやいやいや滅相もない。でも、そうなれると良いなあと思います。
何かの力になりたいという思い、何かの誰かの力になれたらいいなという思いは常にあるんです。
癌にかかわらず、神経難病だったり、病気を抱えて生きている人たちがいる。それ以外病気でなくても、何かしらいろんな困難だったり苦難を抱えてそれでも生きている現状があるので、そういう方たちは孤独になりやすいんですよね。パトランもそうですけど、活動をはじめる何かのきっかけがあって、一歩踏み出すことにつながれればいいなと思います。

心が楽しいと思えることを目一杯見つけたい

−佐賀パトランに参加した時、増田さんが来られると場が明るくなったのを感じました。

みんなが来てくれるのが本当に嬉しいのと、人と触れ合うことってすごくパワーをもらえるんですよね。だから、逆に私はみんなから元気をもらっています。だから、きつくっても行くんだろうなと思います。

あとね、佐賀チーム代表の吉冨さんや、色んな方と巡り合わせてもらって、どうしてる?とか、元気にしてる?とか、ちょこちょこ便りをメールとかをいただくと、またそれが嬉しいので、また頑張ろうっていうものにもなる。抗がん剤治療をすると1週間位はすごくきついんですよね。そういう時に、みんなのパトラン活動の投稿を見ると、また元気をもらえる。自分が元気になったらまた活動しよう、頑張ろう、という思いになれる。パトランの活動も自分ができる範囲で無理なく活動し心が楽しいと思えることを目一杯見つけていきたいですね。
私にとっても全国の仲間が支えになっている、励ましてもらっています。

−他のメンバーにとっても、それはすごく嬉しいと思います。人とのつながりに支えられて、私は参加していますと言う人は多いです。そこがパトランの本質なのかなと感じますね。

パトランを存続させてどんどん広げていってください。

−はい、必ず!

Profile
増田智恵子
佐賀県鳥栖市在住。北九州出身。
佐賀チームの一員として主に鳥栖エリアでの活動を実施。明るい性格でチームを盛り上げる。

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